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以上、すこぶる長文になってしまったが昭和時代の一端を過ごした年寄りが、幼年期、少年期、青年期、壮年期の各時期に出会い、経験した身の回りの水に関連したものや出来事を総括することができた。
今、私は興味があって維新から明治・大正・昭和と近代を描写した小説を一生懸命に読んでいる。それらの小説にあらわれる生活模様をみると、随所に水回りの事が記述されており興味が尽きない。特に昭和2ケタ台(戦中・戦後)の写実は自分も記憶している物や経験なので、思わず「あった。あった」、「そうだった。そうだった」と一人、北叟笑む。
平成の世も30年が近くなり、「初雪や明治は遠くになりにけり」ではないが「昭和は遠くになりにけり」の感が強い。昭和の頃に使われていた言葉の中で、今や「死語」になっているものも多い。そのうち、国語辞典から抹消される運命のものも多々あるのだろう。私らが見、経験した「水回りに関する事物」もその中に沢山あるに違いない。
政治経済の動きを残す歴史(正史)も重要な仕事であるが、そうした水回りの生活史をこれからの人たちに伝え続けることも大切なことだと思って、この文を書いた。
私のほかにもまだ「こんな物や、経験もあるぞ」という方も多いと思う。是非そうした事物・経験は記録として残すようにしてほしい。
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当時、私は小学校の4年生か5年生だった。夏場、近くの東京都農業試験場の地下水をくみ上げて温める池に泳ぎに行く時、この処理場に面した坂道から施設を眺めたものである。下水処理などと言う概念は知らないから、きれいに並んだノズルから噴き出ている水を見て変な噴水だなと思ったものである。
後年、大学で衛生工学を学んだとき、教科書に描かれた固定ノズル式の散水濾床の図面を見て、あっ、これだったのかとびっくりした。きれいな噴水ではなくて下水を噴き上げていたのであった。
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