序-2                        水まわり、昭和の記憶 
 B.伝え残したい事ども
1.必需品の驚異的な急展開
人が生きてゆくために、水は欠かすことができないものである。大勢の人間が生き抜くため、人は自分が必要な量以上に食物を栽培し、採取し、生産してきた。食物以外の生活用品の生産にも水は大量に必要であった。
生産用の水はひとまず置いておいて、ここでは人が生活する上で必要な水の事を考えてみる。
地域・地帯や気候によって若干の差はあるが、生理的に必須の飲み水、保健(体ふき、風呂、手洗い)のための水、家屋住居など身の回りを清潔に保つための清掃水は欠く事が出来ず、生活の質が向上すればするほどその量は増える。

日本でも、歴史の節目ごとに水の扱い方は大きな変化を示してきた。中世から近世、近世から近代そして現代と、人々の生活における水利用の形態も変化してきた。中でもここ百年、大正・昭和、平成にかけて水まわり(水のハンドリング)が急激な変化展開を見せてきたのは疑いの余地のないところである。
幸か不幸か、私達の世代(昭和一桁から戦前生まれ)はそうした変化を目の当たりにし、自ら経験してきた。私達が経験した「水扱い」の変化には眼を見張るものがある。この変化のお陰で、私たちの生活は実に快適になり便利になった。今の若い人が「当たり前」と思っている事が、私たちの子供・若者のころは「こうあれかし」「あったらいいな」と思うことばかりだった。
文明には進化がつきものだから古いものを固持する必要はないだろうが、どのように進歩して今日に至っているのかを探る縁(えにし)として、後世に伝え残しておくのも吾人のつとめであろう。

2.実物の確認
これから、縷々、書き記す品物や作業の内容に関しては、各地(市や区)の「博物館」や「郷土資料館」でその実物やレプリカ、ないしはパネルで確認する事が出来る。
1) 両国・江戸東京博物館の展示品
2) 小金井・戸東京たてもの公園の移築物
3) 各地の古民家・民具博物館の展示品(東京でもほとんどの区が博物館を持っている)