水回りを主に紹介しています。
ローマの貿易港であった街。テヴェレ川の河口にあり、ローマとの距離は約20km。紀元前4世紀頃から街が大きくなり、紀元前68年に海賊の襲撃を受け焼失したが再建され、帝国各地で生産された小麦などの物資が海路運ばれてきた。2〜4世紀頃が最も栄えた頃で、最大時は人口7.5万人にも。テヴェレ川の土砂による港の閉塞が大きな問題であり、現在は河口が3km先になっている。ローマ帝国の衰退ともにさびれ、9世紀に街は消滅。このことは遺跡の保存には良かったと思われ、生活に密着した遺跡も多く残っている。
数百年続いた街であるので、この間建て直しも多かったと考えられる。道路もこの石畳の下に以前の石畳がある。 |
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街の中央を走る道路の両側に市街が広がっている。 |
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